Episode3 THE NEW FRONTIER - 飛び出した世界、そして大学でのテニス -
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Episode3 THE NEW FRONTIER - 飛び出した世界、そして大学でのテニス -
高校一年生の終わり、松田は重大な決断を下す。それは、テニス推薦で入った京都外大西高校を中退し、通信制へと切り替えて、米沢徹コーチの元へ「住み込み」で修行に出ることだった。
京都の名門校を去る。それは日本社会における安定したレールから外れることを意味する。周囲からはもったいないという声も聞こえてきただろう。だが、彼を突き動かしたのは、米沢コーチが提示した理論を超えた「勝てる根拠」だった。
「米沢(徹)さんは、錦織(圭)さんがこういうテニスをして、こうやって世界で勝ってるっていう『答え』を先に見せてくれたんですよね。で、『それを教えた僕が教えるから、あなたもこうなれば勝てるよ』っていうのを言ってくれたんです。それがあったから、信じてついていくことができました。」
暗闇の中を闇雲に進むのではなく、明確な北極星を示してくれた人。その確信があったからこそ、自分の目標に蓋をして安全な場所に留まり続けることが最も恐れるべき「後悔」だと感じられた。
「やるなら、中途半端なのはちょっと嫌やなって。高校の部活やと、やっぱり遠征に行ける日数も限られてるし、世界を目指すには全然足りなかったんです」
慣れ親しんだ京都を離れ、単身、東京・町田へ。そこには、朝から晩までテニスという一事だけに没頭する、極めて純度の高い生活が待っていた。
「本当にテニスしかしてなかったですね。テレビもあんまり見てなかったし、YouTubeも見てなかった。ただ練習して、寝る。その繰り返しでした。米沢さんの家に住み込ませてもらって、朝から晩までずっとやってました。あの二年間が今の自分を作ってくれたのかなって思います。」
かつての部活動にあった喧騒や、組織のしがらみはもうない。あるのは、整備されたコートと、米沢コーチの求める高い基準、そして自分自身の向上心だけだった。娯楽を排し、あえて自分をテニスしかない環境に追い込むこと。それは16歳の少年が生きていくにはあまりにストイックな選択に見えるが、彼にとってはそれこそが、フロリダで見たあの高い壁を乗り越えるための、唯一にして最短の道だった。
「やめるのは不安でしたけど、後悔だけはしたくなかった」
周囲から見れば無謀とも思える「退路を断つ」という選択。しかし彼にとってそれは、自分をの決断を正解にするための、孤独で、しかし希望に満ちた航海の始まりだった。

その孤独な戦いは、やがて結果として現れ始める。町田での修行中、彼はドバイのITFジュニア大会でついに自身初となる優勝を飾る。それは、日本の「部活動」という枠を飛び出し、一人で世界と戦う覚悟を決めた彼が、初めて掴み取った確かな手応えだった。
そして2018年、さらなる大きな扉をこじ開ける。ジュニアテニスの最高峰、全米オープン(USオープン)・ジュニアの本戦出場。
「USオープンの本戦に出られたことは、自分の中で一つ、やってきたことが形になった瞬間でした。予選を3回勝って本戦に行ったんですけど、本戦の1回戦で足が攣っちゃって……。あそこは本当に悔しかったですね」
世界の頂点を肌で感じたその場所で、彼は喜び以上に、世界との埋めがたい「差」を痛感していた。予選を勝ち抜いた自信を打ち砕くような、フィジカルの強度。そして、本戦の重要な局面で足が攣ってしまったという事実。
プロへの想いは消えなかったが、同時にシビアな現実が彼の足を止めさせた。当時は海外遠征を優先していたため、国内の大会にはほとんど出場していなかった。その結果、日本国内での知名度は低く、プロとして活動するための生命線であるスポンサー獲得は困難を極めた。
「プロにはなりたいとずっと思っていたんですけど。当時は日本の大会に出てなかったから、知名度が低くて、スポンサーを見つけるのも難しかったっていうのも理由の一つでした。だから、大学で一回自分を作ってから、プロに行こうかなって。大学の4年間は、土台作りというか、プロでやっていくための準備期間だと思っていました」
選んだのは、関西屈指のテニスの強豪校でもある地元・関西の近畿大学だった。
そこには、かつて彼が高校時代に強い違和感を抱いた日本の部活動のような空気が、さらに濃密な熱量を持って流れていた。しかし、大学での松田は、もはや組織に反発したかつての少年ではなかった。この4年間を、プロへ行くための「土台作り」だと明確に定義していたからだ。
大学生活は、公私ともに新たなチャレンジの連続だった。地元・関西とはいえ、初めて経験する一人暮らし。そして、夕方から授業が始まるという近畿大学テニス部特有のストイックなスケジュールが、彼の日常を塗り替えていく。
「テニス中心の生活でしたね。近大は夕方から授業が始まるので、それまでは練習して、夜に授業を受けて。初めての一人暮らしも経験しましたけど、テニス以外の大学生活はあんまり楽しめなかったです。難波とか近かったんで、たまに遊びに行くことはありましたけど」
そのストイックさは、コートの上だけでなく、自身の「肉体」と「思考」の再構築にも向けられた。
肉体の強化は、部活動の仕組みによって半ば強制的に進められた。大学に入り、部活動で設定された専用の時間を使って、初めて本格的なウェイトトレーニングを経験したのである。
「必ず部活でそういう時間が設定されていて。そこで初めてウェイトをするようになりました。トレーナーさんもいて、自分の体を見てもらって。でも、最初は重たいなって思って。筋肉痛になるんですよ。それがすごい嫌でした(笑)」
最初は筋肉痛への拒絶感を抱いていた彼だったが、その恩恵は、想像以上に早くプレーへと還元されていく。
「僕は割とすぐに(成果を)感じられましたね。すごいパワーが上がって、フィジカルも上がりましたし。そこの恩恵はすごい受けたかなっていうのは感じます」
肉体がプロの強度へと近づいていく一方で、経営学部で自ら選んで学ぶ「思考」の時間は、彼のテニス観に極めてシビアな視点をもたらした。
「お金の流れとか、プロテニスプレーヤーがいくら稼いでるのかを調べたりして。やっぱり100位以内に入らないと食べていけないっていう、そういう厳しい世界っていうのも、数字で見るとより実感が湧いて。逆に、自分は本当にプロで食べていけるんか?っていう悩みは、大学の時の方が強かったかもしれないですね」
論理的にプロという職業のリスクを理解できるようになったからこそ、彼の葛藤は深まっていく。身体は強くなり、知識は増える。しかし、その進化が皮肉にもプロという夢の現実的な重みを彼に突きつけていた。
個人競技としてのテニスに没頭してきた松田にとって、大学テニスの華である「リーグ戦」は、それまで経験してきたどの大会とも異なる異質な手触りを持っていた。コートを囲むチームメイトたちの地を這うような応援、鳴り響く太鼓の音、そして一人の敗北がチームの夢を打ち砕くという残酷な連帯責任。そこでは、ショットの美しさや戦術の合理性以上に、「泥臭く一勝をもぎ取ってくること」が至上命令とされる。
「最初は(団体生活に)馴染めなかった部分もあったんですけど、団体戦では応援が力強く、チームの一体感を強く感じました。団体戦での勝利は、個人の勝利とは違う喜びがあったんです」
高校一年生の時、インターハイの登録メンバーから外れ、チームの敗退を外から見つめるしかなかったあの日の欠落感。近畿大学での彼は、その「自分が出れば勝てる」という想いを、行動で証明し続けなければならない立場に置かれた。一学年上のエースを打ち破り、一年生からシングルスの柱としてコートに立つ。その責任感は、彼を再び組織という鏡に照らし出し、磨き上げていった。。
学年が上がるにつれ、松田の役割は「勝つこと」から「チームを勝たせること」へと変化していく。 近畿大学は関西リーグにおいて長年、王座を逃し続けていた。立ちはだかるのは、圧倒的な選手層を誇る他大学の壁。その壁を崩すためには、松田一人だけが突出していても不可能だった。
個人競技としてのテニスに没頭してきた松田にとって、大学テニスの華である「リーグ戦」は、異質な手触りを持っていた。
「全然違いますね。もう、自分一人で勝ってもチームが負けたら意味がないし、逆に自分が負けてもチームが勝てば嬉しいっていう……。そういう、個人戦にはない『チームで勝つ』っていう喜びを初めて知ったのが大学だったんです」
かつて声出しに疑問を抱いていた少年は、チームの柱として、組織における声が、苦しい局面で足を動かすための燃料であることを理解し始めていた。
そして迎えた、四年生としての集大成、それが全日本大学対抗テニス王座決定試合だった。近畿大学は快進撃を続け、ついに準決勝へと駒を進めた。近大がこの全国ベスト4の舞台に名を連ねるのは、1991年以来、実に30年ぶりの快挙だった。
準決勝では絶対王者・早稲田大学に屈したものの、彼らの戦いはそこでは終わらなかった。続く3位決定戦。相手は、関西リーグで何度も火花を散らしてきた宿敵・関西大学。この最後の一戦に勝利し、近畿大学は全国3位という称号を掴み取った。
「30年ぶりやったんですよ。自分らが生まれる前から届いてなかったところに、やっと行けた。3位決定戦で(関大に)勝って。個人戦とは全然違う喜びがありました。テニスやってて良かったなって、ホンマに思いましたね」

大学テニスという、かつては違和感を抱いたはずの「組織」での熱狂。そこでエースとして、そして主将に近い立場でチームを背負い、30年ぶりの歴史更新を成し遂げた。個人戦では決して味わえない「チームで勝つ」喜びを知ったこの経験は、松田龍樹という人間の器を、プロの世界で戦うに相応しい強固なものへと変貌させていた。
大学テニス生活をやり遂げ、松田はいよいよ、一人のプロテニスプレーヤーとしての航海へと漕ぎ出すこととなる。
(Episode 4へ続く)
著者:山手 渉
カメラマン:小川 和行