Episode 4 NOGRET - 逆境を越えて、テニスを極めるその日まで -
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Episode 4 NOGRET - 逆境を越えて、テニスを極めるその日まで -
大学4年生。進路を決定する最終局面で、松田龍樹はこれまでにない深い葛藤の渦中にいた。周囲の学生たちがリクルートスーツに身を包み、安定した未来へと舵を切っていく中、彼の前には「プロテニスプレーヤー」という選択肢が置かれていた。
しかし、それは単なる子供の頃からの夢の延長線上にあるものではなかった。近畿大学経営学部で専門的に学んだ知識が、彼にプロという世界の構造的な厳しさを、残酷なほど正確に突きつけていたのだ。
「経営学の本を読むのが好きだったんです。お金の本とかを読んでいると『あ、世の中ってこんな仕組みになってるんだ』っていう知識がどんどん増えていって。でも、逆にそれを知ったことによって、プロになろうかメチャクチャ迷いました。勝っていけるかな、食べていけるかなって。逆にそこらへんの知識がなかったら、もっと素直にプロを選んでいたのかもしれません(笑)」

世の中を数字で捉え始めていた彼にとって、プロテニス界の「ピラミッド構造」はあまりに非情に見えた。
プロテニスの世界は、獲得ポイントによって厳格な階級に分けられている。最下部には「ITFワールドテニスツアー(旧フューチャーズ)」があり、ここで勝ってポイントを貯めなければ、上位大会への出場権すら得られない。その上が、世界のトップ選手への登竜門である「ATPチャレンジャー」。さらにその先に「ATPツアー」があり、頂点に「グランドスラム」が君臨する。
下部大会では、優勝しても遠征費とトントン、あるいは赤字ということも珍しくない。経営学で学んだ「100位以内に入らなければ食べていけない」という言葉は、このピラミッドの頂点付近に辿り着くまでの過酷なコスト計算を意味していた。
「(プロになりたいとは)ずっと思っていましたけど、最後の最後まで迷いました。大学で授業を受けていたから、お金を扱う仕事への興味もありましたし。就職活動をしようか、プロになろうか。最上級生になった4年の始まりまで、ずっと考えていました」
揺れ動く心を抱え、彼は父に相談した。幼い頃からサポートし続けてくれたその父が最後に授けたのは、目先の確かな保証を遥かに超えた「人生への向き合い方」だった。
「(父に)相談した時、言われたんですよ。会社員は正直、いつでもなれるよって。やろうと思えばできる。でも、プロテニスプレーヤーになるっていうのは今しか挑戦できへんぞ、って。それから、そうやって挑戦しようっていう位置に自分がいることも凄いことだし、挑戦できる人って限られてるよ、と言われて」
リスクの数字を弾き出していた松田の頭から、その瞬間、すべてのノイズが消えた。父は、単に夢を追えと言ったのではない。プロという険しい道に挑戦できる権利を、自らの努力で捥ぎ取ってきたその位置への敬意を、息子に伝えたのだった。
「自分の選択肢の中に『プロテニスプレイヤー』があるっていうのにも、凄い感謝しないといけないよ、って言われたんです。僕はそれまであまり自覚していなかったんですけど、その言葉で、パッと目が覚めたというか。自分は挑戦できる場所に立っているんだ、凄いことなんだ、って。……それ言われた瞬間に、ま、そうだよなって。そこで吹っ切れたというか」
経営学が教えるリスクヘッジという正解を、父が説いた「感謝」という名の投資が鮮やかに塗り替えた。リターンを求める計算を捨て、彼は自分の人生という資本を、今しかできない挑戦へと全投下することを決めた。
「じゃあ、プロが終わった後でいいか(会社員になるのは)って。やるしかないな、ってなりました」
こうして迷いを振り払い、2020年4月、松田龍樹はプロテニスプレーヤーとしての航海を開始する。しかし、その輝かしい門出を待っていたのは、世界中を混乱の渦に陥れた、目に見えない脅威だった。

2020年、新型コロナウイルスのパンデミック。
4月にプロととなった松田の輝かしい門出を待っていたのは、世界中を混乱の渦に陥れたパンデミックだった。全ツアーが停止し、ウィンブルドンさえも中止。新卒プロとして、最も勢いに乗るべき時期に舞台そのものを奪われた。
「ちょうどプロになったタイミングでコロナが始まって。遠征に行けなくなったんです。あの時は、何をモチベーションに頑張ればいいのか、正直難しかったですね。練習はできていたんですけど、やっぱり試合がないと、どこを目指していいのかが見えなくなってしまって」
ようやく世界が動き出し、海外遠征が再開された時、彼を待っていたのは経営学の知識を凌駕するほど過酷なプロの経済的な洗礼だった。
「プロになって一番大変だと思ったのは、やっぱりお金のことですね。移動するだけでお金がかかる。毎回飛行機に乗って、海外にいるだけでお金がかかる。そんな中で、プロになって最初の賞金……1回戦を勝ってバッと見てみたら、2万円だったんですよ。それまでにもう15万ぐらいかけて(遠征に)行ってるのに。『やってられんな』って(笑)。遠征ごとにマイナスからのスタート。それは本当に辛かったですね」
15万円の投資に対し、リターンは2万円。勝ってもなお膨らんでいく赤字。 「プロでお金を稼ぐのがこんなに大変なんだ」という痛感。これまでの人生で感じたことのないお金のプレッシャーが、一球の重みをかつてないほど鋭く変えていった。拠点を実家に置き、生活コストを削りながら、彼はYouTubeでの発信やトレーニングを愚直に継続した。373本にも及ぶ動画投稿は、光の当たらない赤字の時期でも、彼が自分を鼓舞し、そして自分の足跡を残し続けてきたかの証明だ。
その歯車が、少しずつ、しかし確実に噛み合い始めたのは2025年のことだった。
6月、ギリシャでの25,000ドル大会。松田はここでシングルス・ダブルス共に「完全優勝」という快挙を成し遂げる。
「その時は、1週間で(賞金が)60万ぐらいでした。3週間の遠征で経費が30万ぐらいかかりましたけど、トータルの賞金は70〜80万ぐらいになって。初めてしっかりとしたプラスを出すことができたんです」

勝たなければ、マイナス。勝ち続ければ、それは「プロとしての再投資」への資金になる。この極限のサバイバルを勝ち抜いたことで、彼の世界ランキングは400位台へと跳ね上がり、主戦場はついに格上のATPチャレンジャー大会へと移った。
しかし、チャレンジャーの壁はさらに高く、分厚い。
2026年3月2日現在、松田龍樹のATPランキングは526位。 世界で見れば、500番目のプレーヤーかもしれない。シングルスでは予選敗退が続くこともある。しかし、松田の視線は一点も曇っていない。昨年、筆者に届いたLINEには「まだまだ課題が山積みです」と記されていたが、彼はその現状を、誰よりもポジティブに捉えていた。
「まだまだ自分(の伸びしろ)はあるな、っていうのは逆にありがたいことやな、っていうのは思いますね。もう完成してこれ以上できない、っていうのじゃないんで。まだまだ、まだまだやれる。もし『これ以上は成長できないな』って思ったら、それが辞め時かなって」
160cmという体格で世界の巨漢たちに挑み続ける中で、彼は自分の限界を嘆くのではなく、まだ見ぬ自分への期待を「ありがたい」と表現する。
「テニスというスポーツ、この職業を極めたい。極めたら、もう終わるかなって思います」
高校を中退して退路を断ったあの日も、経営学を学びプロの厳しさを知ったあの日も、彼を突き動かしてきたのは「後悔だけはしたくない」という一点だった。
「これから僕が何かを終えて、終わった時に、後悔しないような生き方。そういう選手活動をやっていけたらなと感じています。できるところまで、全力で」
小学校時代、父と渋滞の中を駆け抜けた往復2時間の道のり。
「答え」を求めて京都を去り、町田のコートから世界を見た2年間。
エースとして30年ぶりの歴史を作った、近畿大学での日々。
そして、コロナ禍という荒波を越え、自らの手で掴み取ったプロの現在。
それらすべての点がつながり、松田龍樹という一人のプロテニスプレーヤーを動かしている。 その瞳が今、真っ直ぐに見据えているのは、かつて夢見た景色よりも遥かに広大で、鮮明な手触りを持った世界の舞台だ。
理想の先へ辿り着くために、海を越え、幾多の国々を股にかける壮大な航海。
一戦ごとに、一国ごとに、自らの手で新たな航路を刻み続けていくその旅路は、静かな、けれど決して揺らぐことのない推進力を生み出している。
「テニスを極める」その日まで、彼の「後悔なき航海」が止まることはない。
それが、松田龍樹にとってのNogret―

著者:山手 渉
カメラマン:小川 和行