人生には、大切な選択をしなければならないときがある。
大いに悩み、苦しみ、それでも自分の責任で下す決断。そこに後悔が残ることのないように、その決断が正解だと胸を張れるように、人は生きる。
そんな人生の選択とともに持ち続けるべきもの、それが「Nogret」。
No regret = 後悔はしない、という意味だ。
ライフステージの中で数々の選択をし、今の地位を築いた戦士たち。
彼らが積み重ねてきた「Nogret」とは―――
Episode4 自分の限界を知る。
中部大学サッカー部は、東海地区のリーグの1部に属するチームだった。地区の中では強豪という位置付けではなかったものの、チームには全国大会の出場経験者も在籍しており、1年生の大石の実力で試合に出られるレベルではなかったという。
それでも週6〜7日の練習は全力で取り組み、父親とのランニングも欠かさなかった。また、高校の部活動引退から始めたジムでの筋トレは大学生になってからも継続しており、体づくりの習慣は続いていた。
ただ、どれだけ体と同じように心を鍛えられるわけではない。大学で自分が試合に出られない現状で、これまでとは異なるマイナスな気持ちが芽生えた。
―このまま続けていてもサッカー選手になれない。
「(サッカーをはじめて)高校までは全国のトップと戦うような環境でした。そこで戦ってきた選手たちは大学でどんな活躍をしているのかをずっと見ていたんです。でも自分は地区レベルの大学でしたけど、そこでも試合には出れていませんでした。」
高校時代よりレベルが落ちた環境でも試合に出場できない現状、一方で大学やプロで活躍していく同世代の選手達、入学した最初の1年間で、サッカー選手になるという目標と自分の現在位置を考えるようになった。
その果てに見えたのは、自分の限界だった。
ただ、もう13年間も続けてきたサッカーだ。今更辞められないし、毎日練習もある。そうして気持ちに葛藤を抱えて過ごす日々で、徐々に大好きだったサッカーに義務感で向き合うようになってきてしまったという。
挫折ともいえる、今までの人生にはなかった体験。
だが、それは決して失うものだけではなく、新たな発見を同時に与えてくれたという。
「大学生になってすぐ自分の限界を感じてしまったんですが、その限界って決してマイナスなものではなかったんです。サッカーを全力で続けてきましたけど、残りの大学生活で何かに1から全力で取り組んで、卒業するときに『頑張った』と思っていたいなと。」
もちろんずっと続けてきたサッカーを辞めないという道もあった。そのまま部活に籍を置いて大学生活を送ることもできるし、サークルや地域のクラブチームなどプレーレベルさえ落とせば楽しくサッカーをすることもできる。
だが、大石の目標はあくまでも「プロサッカー選手になること」だったからこそ、その実現が困難とわかってもなおサッカーを続けることは考えなかった。それ以上に、自分がまた全力で取り組める何かを見つけたかった。
それが、現在も競技者として続けているトライアスロンとの出会いへと繋がってゆく。
「もちろんサッカー以外にもいろんな競技はありました。でも僕は小学生の頃から父と一緒にずっと走っていましたし、中学生までは陸上と水泳も続けていました。それに高校時代は学校までの毎日片道20kmくらいの距離をほぼ毎日自転車で通っていたんです。最初の2年は電動じゃないママチャリで、最後の1年は親に買ってもらったロードバイクに乗っていました。全部今までやってきたことでしたし、正直に言って自信がありました。だから、トライアスロンを選んだんです。」
ラン、スイム、バイク。
確かに言われてみるとその全ての要素が大石のこれまでの人生には色濃く存在していた。「サッカーのため」にやり続けてきたことが、また新たな目標の中で一つになっていく。実に面白い。
それに、大石にとってトライアスロンは少しだけ縁深いものでもあった。
中部大学第一高等学校の同級生に、当時世代別の日本代表にも選ばれて国内外で活躍していた山崎向陽というトライアスロン選手がいた。直接やりとりする関係ではなかったが、純粋に同じ学校で活躍する同級生がいたことで、トライアスロンという競技が記憶に残っていたという。
もちろん、中部大学にトライアスロン部があることも知っていた。
サッカー部の練習の時に、トライアスロン部がトラックを走っている様子は見ていた。ずっと陸上をやっていたこともあり、中学の陸上部時代を思い出しながら、久しぶりにタイム計測してみたい気持ちもあったという。
こうして芽生えた、新たしい挑戦の灯火。
だが、最初から周囲の理解を得られたわけではなかった。
「誰一人として僕がサッカーを辞めることを良いと思ってくれる人はいませんでした。」
と語るほど、周囲の反対が多かったという。サッカー部の在籍中にトライアスロン部の体験へ行ったことでサッカー部のコーチからは怒られ、両親や友人からは反対された。
特に大石の両親は、これまでの13年間サッカーに取り組む大石を応援してくれ、遠征や試合なども都度見にきてくれていたほどだった。また、大石には妹と弟がいるが、全員サッカーをしていた。大石家とサッカーの結びつきはとても強く、辞めると言ってすんなり応援してもらえるものではなかった。
だが、周囲の反対の根底にあったのは、プロになれるという期待ではなかった。
それ以上に、これまで続けてきたサッカーを辞めるのが「もったいない」という思いだったのではと大石は振り返る。
「もちろんずっと続けてきたサッカーを辞めるのにビビっていた気持ちもありました。でも、それ以上に自信があったんです。(ランもスイムもバイクも)今までやってきたことって以外、そこまで明確な理由はなかったんですけどね。残りの大学生活で、今までやってきたサッカーと同じくらい全力で挑戦したいっていうワクワク感もありました。」
13年間続けてきたサッカーとの別れ、トライアスロンという競技との出会い。
激動の大学1年目を終え、大石はトライアスロンへの道を進むこととなった。
(Episode5 へ続く)
著者:山手 渉