Episode3 プロサッカー選手を目指した日々


 

人生には、大切な選択をしなければならないときがある。

大いに悩み、苦しみ、それでも自分の責任で下す決断。そこに後悔が残ることのないように、その決断が正解だと胸を張れるように、人は生きる。

 

そんな人生の選択とともに持ち続けるべきもの、それが「Nogret」。

No regret = 後悔はしない、という意味だ。

 

ライフステージの中で数々の選択をし、今の地位を築いた戦士たち。

彼らが積み重ねてきた「Nogret」とは―――

 

 

Episode3 プロサッカー選手を目指した日々

 

香港から日本へ渡り、途中編入から始まった小学校時代が終わった。

日本での生活にも少しずつ慣れ、中学校は周りの友達と同じスタートを切る。

 

進学したのは、名古屋市立猪高(いだか)中学校。

小学生時代から引き続きクラブチーム(愛知FC)へ所属していたために部活動でのサッカーができなかった背景もあり、大石は陸上部へ入部した。種目は1,500m3,000m、もちろんこれもサッカーでの持久力・走力向上のためだった。

 

また、水泳にも引き続き取り組んでいた。地元のスイミングスクールへ通い、少しレベルの高い育成クラスに入り、より長い距離で泳ぐようになった。

 

週1日の水泳、

週3〜4日の陸上、

週6〜7日のサッカー、

 

これが中学生になった大石のスケジュールだった。

弛まぬ努力で自分を磨き続けた日々は、陸上では名古屋市選抜に選ばれ、水泳では地区大会に入賞するという結果としても現れた。こうして中学生となった大石のスポーツ環境は、引き続きサッカーを主軸としながら確実に進化していったのである。

 

順風満帆。心身ともに充実した中学時代だったが、3年生時に転機が訪れた。

 

「辞めたんです、愛知FCを。」

 

もちろんプロになりたい気持ちは持っていた。だが、徐々に自分の実力で試合に出ることができなくなっていた現状があった。成長過程の大事な時期に出場機会を得られないデメリットは計り知れない。

 

そうした事情だけでなく、何よりも「結果は自分で掴み取りたい」という強い意志があった。チームメンバーとして貢献した結果ではなく、レギュラーメンバーとして結果を掴み取りたい。それが大石のこだわりだった。そして出場機会を求めて、大石は小学生時代から所属していた愛知FCを離れ、中学校のサッカー部へと入部したのであった。

 

最終的に中学校のサッカー部では、県大会ベスト8という成績が最終結果だった。しかしながら、自分の実力と向き合い、見極め、環境を作り直したことは大きな糧となった。

 

 

高校は、中部大学第一高校へ進学。

実は、この選択にも大きな意味があった。

 

「ちょうど名古屋グランパスのストイコビッチ監督が辞めた時だったので、その時のコーチ陣から何人かが(大石が進学する)高校のサッカー部に来たんです。僕らの代からチームの強化が始まる、というタイミングでした。」

 

監督に伊藤裕二、コーチに飯島寿久。ファンなら誰もが知るグランパスのレジェンド選手たちである。さらに元々のコーチを加えると総勢5-6名の体制という育成環境だった。ちなみに両名は20236月現在まで同高校に在籍しており、チームも2021年の第100回全国高校サッカー選手権大会に初出場するなど、現在では愛知県を代表する強豪校の一つとなっている。

 

こうして、改革が進む中部大学第一高校サッカー部の一員として大石の高校生活が始まった。

 

サッカー1本で行くという強い決意のもと、これまで並行してずっと続けてきた水泳と陸上も辞めた。唯一、父親と共にほぼ毎日続けてきたランニングだけは継続した。小学生時代には朝は3km・夜は10kmという距離を走っていたという。サッカープレイヤーとしての大石の武器である走力・持久力は、長い時間をかけて父親と共に築き上げてきたものだった。

 

チームは前述の通り強化の真っただ中でまだまだ部員数が少なかったこともあり、大石は1年生から試合に出場することができていた。だが、2年生になり昨年の大石と同様に優秀な1年生たちが入ってきたことで、また試合に出続けることが難しくなっていく。

 

それでも大石は前を向いた。研ぎ澄ませてきた自分の武器である走力は、50m 6.2秒、1500m 424秒というベストタイムを叩き出すまでになっていた。体力テストでもチームの中ではずっと上位。元プロチームのコーチ陣による技術・戦術指導によるスキル向上の実感もあった。まだまだ勝負できるという自信は、決して失うことはなかった。

 

ただ、3年生になっても状況は変わらず、むしろ悪化していく。

県内のベストイレブン選手や選抜選手だけでなく、県外からも有望選手が入ってくるようになった。大石が入った頃は少なかった部員数も、この時は100名以上の規模だったという。スターティングメンバーに入れなくなり、欠員が出た時の穴埋めとしてメンバーに選ばれるような状況であった。

 

大石が高校生活を振り返る際に出た、「天狗になってしまった」という言葉が印象的だった。

1年生からメンバーに入り試合に出続けることができ慢心してしまったこと、コーチの話をあまり聞かずによく怒られたこと、ボトル運びやグラウンド整備といったチームの仕事を手伝わなかったこと。

 

高校生活の中で徐々に試合に出られなくなっていったことは、1サッカー選手としての能力だけでなく、チームスポーツとしての姿勢含めた自身の素行に問題があったことも影響があっただろう。それでも、大石の目標は変わらなかった。

 

「(プロになりたいという気持ちは)もちろんまだありました。監督からも、『大学に入ってもまだ伸びる可能性はある』と言われていましたし。」

 

 

そして大石は、高校からの内部進学で中部大学工学部へと進んだ。

 

運命が大きく変わることになる、大学生活。

サッカーとの別れ、そしてトライアスロンとの出会い。

 

新しいステージが大石を待ち構えていた。

 

 

Episode4 へ続く)

 

著者:山手 渉