Episode2 香港から日本へ


 

人生には、大切な選択をしなければならないときがある。

大いに悩み、苦しみ、それでも自分の責任で下す決断。そこに後悔が残ることのないように、その決断が正解だと胸を張れるように、人は生きる。

 

そんな人生の選択とともに持ち続けるべきもの、それが「Nogret」。

No regret = 後悔はしない、という意味だ。

 

ライフステージの中で数々の選択をし、今の地位を築いた戦士たち。

彼らが積み重ねてきた「Nogret」とは―――

 

 

 

Episode2 香港から日本へ

 

生後間もない頃から物心つくまで約10年以上ずっと過ごしてきた香港の地を離れ、小学4年生の時に大石は日本へ戻った。

 

最初は“旅行気分”という言葉が出てくるほどワクワクしていたが、日本で暮らす実感が湧いてくると徐々に寂しさを感じてきたという。

 

まず直面した壁は、文化・言葉の違いだった。

日本人とはいえ、生まれ育ったのは香港である。日本語以上に英語を使う日々から、いきなり日本語のみの環境に入ることには苦労が伴った。

 

「日本で暮らすようになってから、ある日外へ遊びに行った時のことなんですが、まだ当時は(日本語の)語彙力がなくて、親に『帰りが遅くなる時は公衆電話で連絡するように』と言われたんです。でもその時は、肝心の「電話」っていう日本語がわからなくなっちゃって。だから『Telephoneってどこですか?』って聞いてしまいました(笑) 家に帰るだけでも苦労しましたね。」

 

また、日本の学校生活も香港とは全く異なっていた。

好きな服を着てランドセルを背負って10分歩けば学校へ着き、授業は間でしっかり休みがありながら、給食まで出てきて7時間目で終わり。それは、制服にリュックを背負い、毎日1時間かけてバスで通い、昼を除けば10分くらいしか休みがない中で毎日10時間授業だった香港での小学校生活とは雲泥の違いだった。

 

 

こうして壁にぶつかりながら、日本での生活がスタートした。

香港で出会い、のめり込んできたサッカーは、もちろん日本でも続けていく。

 

「学校のサッカー部の先生が、2つのチームを紹介してくれました。1つは、Jのクラブチーム。もう1つは愛知県の強豪クラブチームで。僕はこの2つのチームのセレクションを受けて入団することになりました。」

 

大石が選んだのは、愛知フットボールクラブ(愛知FC)というチームだった。

ジュニア〜U-18カテゴリまでを抱えるビッグクラブであり、例えば名古屋グランパスや川崎フロンターレで活躍した中西哲生さん、帝京高校時代に選手権で準優勝に輝き東京ヴェルディに入団した矢野隼人さんなど数々のJリーガーを輩出している名門だ。

 

事実、当時のチームで大石の同期には、J1リーグ京都サンガF.C.のアピアタウィア久選手、J2リーグベガルタ仙台の山田寛人選手(J1リーグセレッソ大阪より期限付き移籍中)、J3リーグヴァンラーレ八戸の丹羽一陽選手などが在籍していた。いずれも現役バリバリで活躍しているJリーガーである。

 

「(プロ選手を目指すには)厳しいなと正直思いました。上には上がいるなと。」

 

当時を振り返った大石の口からそんな言葉が出るほど、愛知FCはレベルが高かった。自分よりも上手いプレーヤーが同期の中にもたくさんおり、それは香港にいた時には体験したことのないものだったという。

 

 

だが、そんな環境の中でも大石は諦めることは考えなかった。

愛知FCは全国でもトップクラスの実力を持つチーム、味方はもちろんだが当然ながら対戦相手のレベルも高い。常に世代のトップに触れることができるという最高の環境にいたからこそ、自分の成長を信じることができた。

 

もちろん環境だけに頼っていたわけではなかった。

大石はサッカー以外のスポーツにも積極的に取り組み、小学5年生時には陸上部へも入部した。もともと香港にいた時から父親と毎日走るという習慣があり、それを日本に戻ってからも続けていたこともきっかけだったという。

 

サッカーに必要な体力・持久力を養う目的もあり、選択したのは小学生では長距離にあたる1,000m競技。小学生時代の成果は、市の選抜メンバーに入ったこと。走力は確実に伸び、自身の武器と言っても良いレベルとなっていった。

 

また、サッカーの練習へ行く前やオフの日は、幼少期から続けてきた水泳にも取り組んだ。全てはプロサッカー選手になるため、大石の時間はその目標に注ぎ込まれていた。週末にはバスで全国各地へ遠征に行き、大会や練習試合に参加する日々。ジュニア世代でも本格的なスケジュールの中で、サッカーに取り組んでいた。

 

大石のそんな努力は、所属する愛知FCの全国大会出場という結果に繋がった。ちなみに決勝で勝利したのは、セレクションで行くかどうか悩んだJのクラブチームだった。

 

香港から日本へやってきて、新しく作ったサッカー環境。

自分の選択が間違っていなかったという実感は、大きな収穫だった。

 

プロになることを目指したサッカー、

サッカーでの走力を上げるための陸上競技、

サッカーでの持久力を上げるための水泳、

 

トライアスロンの語源は、ラテン語の3を意味する「トライ」と、競技を意味する「アスロン」を組み合わせたことと言われている。そう考えると、実はこの時から既に大石のトライアスロン人生が始まっていたのかもしれない。

 

このトライアングルな競技環境は、中学生になってからますます充実していくこととなる。

 

 

 

Episode3 へ続く)

 

著者:山手 渉