人生には、大切な選択をしなければならないときがある。
大いに悩み、苦しみ、それでも自分の責任で下す決断。そこに後悔が残ることのないように、その決断が正解だと胸を張れるように、人は生きる。
そんな人生の選択とともに持ち続けるべきもの、それが「Nogret」。
No regret = 後悔はしない、という意味だ。
ライフステージの中で数々の選択をし、今の地位を築いた戦士たち。
彼らが積み重ねてきた「Nogret」とは―――
Episode1 原点はサッカー
サッカー選手になりたい。
そう思った少年がいた。
少年は、そのために持てる時間をありったけ注ぎ込んだ。
やがてその夢は、明確な目標へと変わった。
そんな挑戦の先に彼が辿り着いたもの。
それは成功ではなく、自分の限界だった。
ただ、その限界はまた新しい夢をくれた。
かつての少年は青年となり、今はその夢に向かっている。
これは、サッカー選手を本気で目指した少年がトライアスロン選手になるおはなし。
MY NOGRET STORY 第三幕、開演。
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この話の主人公の名は、大石一博。
株式会社ブロンコビリー・チームーゴーヤー名古屋に所属するトライアスロン選手だ。昨年7月に行われた第36回長良川国際トライアスロン大会では2位の成績を収め、今シーズンの初戦アイアンマン70.3 東三河ジャパンでは4位(世代別では2位)に入賞。今後の活躍が期待される25歳の若武者である。
1998年6月12日に大阪府で生まれた大石は、生後すぐに父親の仕事で香港へと移り住んだ。
当時の香港といえば、前年の1997年7月1日にイギリスから主権が中華人民共和国に返還され、中華人民共和国の特別行政区となったばかり。教育制度も、2009年の改正まではイギリス式であった。
そんな環境で育った大石は、日本語だけでなく英語を話す幼少期を過ごした。幼稚園時代からは水泳と体操に通い、特に水泳はその後中学時代が終わるまでずっと続けていたという。
だが、まだまだイギリスの空気が色濃く残った香港の地で彼がのめり込んだスポーツは、言わずもがなサッカーであった。
「幼稚園の最後のクリスマスだったと思うんですが、サンタさんには仮面ライダーのラジコンのプレゼントをお願いしたんです。でももらったのはサッカーボールでした(笑)」
サンタさんからもらった贈り物は、結果的に大石をサッカーの世界へ誘う最後のピースとなった。サッカーが大好きな周りの友人達、家の前にあるサッカーグラウンド、そしてサンタさんがくれたサッカーボール。サッカーをするのに必要なすべての要素が揃ったことで、さらにのめり込んでいく。
小学生になってからは、香港にある日本人のサッカークラブへと入団した。さらに、香港でも有数のクラブチーム「香港フットボールアカデミー」にも加入。当時はイングランド・プレミアリーグのアーセナルFCも経営に携わっていたほどの規模であった。この香港フットボールアカデミーには日本人だけでなく現地・世界各国のメンバーが所属していたこともあり、英語だけでなく広東語やポルトガル語も話すようになったという。
「とにかく本気でした。周りのみんなもプロを目指していましたから。」
この頃から、大石の生活の中心はサッカーとなっていった。
幼少期から通っていた体操はやめたが、前述の通り水泳は小学校に入ってからも続けていた。それはまた、サッカーに必要な体力を作るためでもあったのだ。
当時はどんな選手、チームに憧れていたのか。という質問に即答したほど、小学生の大石を虜にしたのがスペイン・リーガエスパニョーラのFCバルセロナだった。父親がサッカー好きだったこともあり、たくさんのDVDでスター選手達のスーパープレーを見ていたという。
当時のバルセロナといえば、プジョル、シャビ、イニエスタ、デコ、ロナウジーニョ、エトー、そしてまだ若きメッシが所属していた。05/06シーズンには、フランク・ライカールト政権下で国内リーグとUEFAチャンピオンズリーグの2冠を達成したほど。のちの2010年南アフリカワールドカップでスペインを優勝へ導いたのは、紛れもなくこの時からバルセロナで活躍していたスペイン人選手達であっ。それほどまでに、当時のバルセロナの華麗なパスサッカーは世界を席巻し、ファン達を魅了していた。
スペインサッカーへの憧れを持ち、まだまだイギリスの雰囲気が色濃く残る香港の地で、本気でサッカー選手を目指していた小学生時代。そんな大石の生活は、小学校4年生の終わりに大きな転機を迎えた。父親の仕事で、日本へ帰国することになったのである。
「日本へ帰国すると聞いた時は、驚きよりも嬉しさの方が大きかったんです。それまでは祖母に会いに帰るくらいでしたから。」
本人の言葉をして“旅行気分”と表現する出来事。
それでも、香港の地で夢中になっていたサッカー、そしてサッカー選手になるという夢、これは日本でも引き続き追いかけるという想いは強く持っていたという。
サッカーと出会い、
サッカーに魅了され、
サッカーで生きていくと決めた。
そのすべてが詰まった場所、香港を離れることになった。
日本では名古屋で生活することになっていた。父親の勧めもあり、小学校の部活動ではなく地元のスクールやサッカークラブのセレクションを受けることになっていた。
ボールさえあれば、サッカーはどこだってできる。
サッカー選手になるという目標に向かう大石一博、次なる舞台は日本へ。
(Episode2 へ続く)
著者:山手 渉