Episode3 ハンドボールで、生きていく。


人生には、大切な選択をしなければならないときがある。

大いに悩み、苦しみ、それでも自分の責任で下す決断。そこに後悔が残ることのないように、その決断が正解だと胸を張れるように、人は生きる。

 

そんな人生の選択とともに持ち続けるべきもの、それが「Nogret」。

No regret = 後悔はしない、という意味だ。

 

ライフステージの中で数々の選択をし、今の地位を築いた戦士たち。

彼らが積み重ねてきた「Nogret」とは―――

 

 

 

Episode3 ハンドボールで、生きていく。

 

日体大のレギュラーでありエース。

アンダー世代・フル世代での日本代表。

 

順風満帆な選手生活を送っていた大学時代の信太が最後に得た、2つの肩書。それは「夫」と「パパ」だった。

 

信太は、大学卒業を目前に控えた20123月に結婚した。
学生最後のインカレが終わった頃から付き合った彼女と、数ヶ月の交際を経てのゴールインだ。さらにめでたいことに、“授かり婚”でもああった。信太は守るべき存在ができた、それも同時に2人もだ。

 

「実はこれはめちゃくちゃ後悔してるんです」

 

 

信太は、プロポーズをちゃんとしていなかった。何かしらの形でもやっておくべきだった、と本人曰く人生で最大レベルの後悔だという。
ここまで様々な決断をしながら後悔はせず道を切り拓いてきた信太だったが、大学生活の最後にとんでもないやらかしである。
ハンドボールのことを話す時とは打って変わった表情で語っていた姿が、とても新鮮だった。残念ながらこの後悔は現在進行型なようなので、近い将来しっかりクリアできることを心から祈ろう。

 

こうして人生の伴侶も得た信太が卒業後に選んだ道は、ハンドボール選手になることだった。

 

ほとんどのアスリートにとっては、大学を卒業するまでが競技生活の一括りとなることが多いと思う。それは、「仕事にするかどうか」という大きな岐路に立つからだ。
大学を卒業した者だけが得られる“新卒という手形を持って就職活動に入り、新社会人として企業へ勤める人もいる。また、働きながら競技を続けるために実業団チームを持つ企業へ勤める人もいる。
在学中に家庭を持つこととなった信太にとっては、「仕事にするかどうか」だけでなく「仕事にできるかどうか」という考えもまた必要であった。

 

 

「ハンドボールを続けることしか考えてませんでした。だってそれしかやってこなかったから。」

 

 

信太はそう強く言い切った。
ハンドボール選手として生活していく自信もあったという。
事実、在学中の彼のもとには、日本ハンドボールリーグのチームから数多くのオファーが舞い込んでいた。しかもすべて上位チームからのものであり、これもまた異例のことだ。
全てのチームからの話を聞いたが、信太の心にあったチームは大崎電気だった。
大学の先輩が多くプレイしていたこともあったが、何より大きかったのは大崎電気だけが当時はプロ選手という契約があったことだった。

 

こうして信太は日本ハンドボールリーグの強豪大崎電気の一員となった。
とはいえ、初年度からプロ契約だったわけではない。最初の3年間は、会社の情報システム局という部署で働いていたという。
チームだけでなく日本代表としての活動もあり出社は年間100日程度だったというが、その3年間もプロになるまでの過程としては決して無駄なものではなかった。

 

自分や仲間・チームで楽しむことを第一にやってきた小中学校時代から、血の滲む努力で心技体を鍛え上げて勝利を求めた高校・大学時代へ。そしてそばで応援してくれる家族を支え・守るためにプロという覚悟を持って戦う社会人時代へ。
ハンドボール選手信太弘樹の第三章が、こうして幕を開けた。

 

 

2012年のルーキーシーズン、7月の第2回全日本社会人ハンドボール選手権ではチームの優勝に貢献するだけでなく、個人としても最優秀新人賞を受賞。
さらに翌2012-13年シーズンは全16試合に出場し、第3回社会人選手権ではチームは惜しくも準優勝に終わったものの、ベストセブンに選出。
戦場を日本リーグに変えても、信太は初年度からまばゆいばかりの輝きを放った。

 

さらに飛躍はつづく。
2013-14年シーズンには86得点を記録し、ベストセブンに選出された。
また、同年の第66回日本選手権で最優秀選手賞を受賞。そして翌2014-15年シーズンは2年連続でベストセブンに選出され、名実ともにリーグを代表する選手の仲間入りを果たした。
201511月にはリオデジャネイロオリンピック・アジア予選に臨む日本代表に選出。残念ながら本大会への出場は逃したものの、キャプテンとしてチームを牽引した。

 

20代後半にさしかかり、信太は選手としての円熟味が増してきた。
特に、ゲームの中でも勝負に直結する場面での活躍が目立つように。2016年に行われた68回日本選手権、決勝で激突したのは強豪トヨタ車体。白熱した勝負は延長戦にもつれ込んだが、決勝点となるシュートを決めたのは信太だった。
両チーム最多の8得点をあげてチームを優勝に導き、堂々の最優秀選手に輝いた。
さらに2017-18年シーズンでもプレーオフ決勝で再びトヨタ車体と対決。この試合でも信太は両チーム最多の7得点を記録し、チームの3季連続の優勝に大きく貢献した。信太は、「チームを勝たせられる選手」となった。

 

 

この華々しい活躍を一番支えてくれたのは、家族だった。
特にチームだけでなく日本代表の主力でもあった信太は家を空けることが多く、長いときは一ヶ月以上に及ぶことも。そんな日々も家庭を守り、そして日頃の食事などのサポートをしてくれた妻梨歩さんへの想いは強い。

 

「両親、恩師、ファンの皆様など感謝している方はたくさんいますが、一番は妻です。子育ては全て任せきりでしたし、家を空けることも多かったけど、妻は家族を守ってくれました。僕はそのおかげでハンドボールに集中することが出来たので、どれだけ感謝しても足りないくらいです。」

 

そして信太は、新しい命を授かり2児のパパとなった。

子どもたちに自分がプレイしているところを見てもらうまでは、絶対に続ける――

 

家族の存在を力に変えて、信太が見据えていたキャリア最大の目標。それが、東京オリンピックだった。

 

本大会に出場できなかった、リオの雪辱を晴らしたい。

大好きなハンドボールで、オリンピックに出たい。

子どもたちに一生残る姿を、残したい。

 

その大きな夢を叶えるため、信太はある決断をした。

 

 

Episode4 東京に込めた夢 へ続く)

 

 

 著者:山手 渉

カメラマン:高須 力