Episode3 ハンドボールをする意味


人生には、大切な選択をしなければならないときがある。
大いに悩み、苦しみ、それでも自分の責任で下す決断。そこに後悔が残ることのないように、その決断が正解だと胸を張れるように、人は生きる。
 
そんな人生の選択とともに持ち続けるべきもの、それが「Nogret」。
No regret = 後悔はしない、という意味だ。
 
ライフステージの中で数々の選択をし、今の地位を築いた戦士たち。
彼らが積み重ねてきた「Nogret」とは―――
 
 
 
Episode3 ハンドボールをする意味
 

アンダー世代のハンドボール日本代表に選ばれるということ。
 

もちろんこれはとても大きな名誉だ。
だが、同時にあまり知られていない事実もある。それは、お金がかかるということ。もちろん国も出してくれるし、協会も出してくれるが、ジュニア世代になるほどスポンサーがついていないためそれだけでは賄いきれないのである。
そう、足りない分を補うのは選手であり、もっと言うとその親だった。
 

「実際にお金が払えなくて、すごく実力がある選手も競技を断念したという歴史もあったと思います。僕の家も裕福な家庭ではなかったのですが、アンダー世代の代表に入ったらいきなり30万支払わないといけなかったくらいです。ユニフォームだって自腹ですしね。」
 

アンダー世代の30万は、大金である。親の負担だって軽いものではない。
永島は父親にその費用の相談をしたら、「お前が日の丸を背負ってお国のために戦うのに、なんで俺が金出さないといけないんだ」と言われたそうだ。
息子が日の丸を背負うんだぞ?と最初は理解ができなかったが、3日後くらいの朝に自分の勉強机に一通の封筒が置いてあった。
 

「国のために、頑張ってこい。」
 

そう書かれた手紙とともに、30万円が入っていた。永島は今でもその封筒を持っているという。父親から良い教育を受けたと語る永島の顔は、とても印象的だった。
 

 
 
こうして父のサポートを得た代表活動だが、費用の負担は招集される限り続いてゆく。大学を卒業した永島が決めた社会人の進路は、代表活動の費用サポートを約束してくれた三陽商会だった。
当時のリーグでは4番手くらいのチームだったが、他チームが有力な外国人選手を引き入れていた中純日本人のスカッドを編成していた点も大きな魅力だったという。
 
ところが、永島が入部した後の2000年に、三陽商会ハンドボール部は休部となってしまう。そんな出来事を経て下した決断が、大崎電気とのプロ契約だった。
 

「アパレルには興味もあったし、三陽商会で社員として働いた経験は今でも活きています。でもハンドボールって自主練を入れたって一日にするのは4-5時間くらい。じゃあ後の19時間くらいは何をするんだって考えたら、僕は自分が何をしたいのかを探す時間に充てたかったんです。とにかくハンドボールだけじゃない、外の世界に触れるようにしていました。」
 
 
プロ契約で大崎電気に入部してからの活躍は、凄まじかった。
チームとして、2度のリーグ優勝・4度の全日本実業団選手権優勝・3度の全日本選手権優勝。個人としても、リーグのベストディフェンダー賞を2度受賞。そして2002年から10年にわたって日本代表に選ばれ続け、リーグだけでなく日本を代表する選手となった。
 

特に永島にとって大きかったのは、日本代表だったという。
 

「日本で最高のチームが、日本代表じゃないですか。だから僕はそこに自分の名前がないと悔しいし、オリンピックが決まった瞬間にそこに自分がいないのも悔しい。それに日本代表になるということはプレッシャーもすごくありますし、拘束される時間も多くなるのでしんどいんですよね。だから自分が競技者でいる間に、オリンピックという最高の舞台に出ることを目指していました。それがハンドボールを続ける意味でもありましたね。」
 

これは今もあまり変わっていないことだが、ハンドボールは人を集めたり、大きな金を生むスポーツではなかった。だからその競技に、プロ契約選手として身をおいている上で、目指すべき場所はオリンピックであり、それが永島にとっての「当たり前」であった。
むしろそう思うことで自分を保っていたのだという。
 

アテネ、北京、ロンドン、永島は日本代表の主力として、キャプテンとして3大会の出場を目指して戦った。結果として最高の舞台に到達することは叶わなかった。
2012年4月に行われたロンドン五輪のIHF世界最終予選を3位で終えた時、永島は36歳だった。
 

「心技体で言うなら、技術は経験で補えます。体力はもちろん落ちてきますが、節制や食事に気をつけながら練習のやり方を変えていけば維持することはできます。ハンドボールはチームスポーツですから、自分の求められる動きも全てではありませんし。でも、技術も体力も向上させるのは心がないとできません。その心がが空っぽになりかけているなと気づいたのが、ちょうど目標がなくなったその時でした。」
 



 

だが契約もあり、プロでもあり、チームの主力選手でもあり、慕ってくれる後輩もいる。最後の一年と心に決め、2012-2013シーズンを戦った永島は、同年に現役を引退した。
 
高校時代のワクワクがくれたハンドボールとの出会い。そして、その関係をより深く、確かなものに変えたのは、「しんどい方を選ぶ」という自分との約束。岐路に立つたびにその決断があったからこそ、ハンドボール選手としての輝かしい成果を得ることができたのだった。
 

選手としてのキャリアは終わったが、永島の航海は続く。
次なるワクワクを、探しに。
 
 
 
Episode4 新たな自分を探して へ続く)

 

 著者:山手 渉

カメラマン:高須 力