Episode2 ワクワク×しんどい


 

人生には、大切な選択をしなければならないときがある。
大いに悩み、苦しみ、それでも自分の責任で下す決断。そこに後悔が残ることのないように、その決断が正解だと胸を張れるように、人は生きる。
 
そんな人生の選択とともに持ち続けるべきもの、それが「Nogret」。
No regret = 後悔はしない、という意味だ。
 
ライフステージの中で数々の選択をし、今の地位を築いた戦士たち。
彼らが積み重ねてきた「Nogret」とは―――
 
 
 
Episode2 ワクワク×しんどい
 

永島英明のハンドボール選手としてのキャリアは、高校時代からはじまった。
 
 
一見スタートとしては遅いように感じるかもしれないが、1990年代はまだハンドボールがそこまでジュニアレベルで普及しておらず、例えば小学生からはじめられるようなクラブチームも多くなかった。
つまり気軽に競技ができる環境が多くなかったため、永島のように高校時代からキャリアをスタートさせることも珍しくなかったのである。
 
そして、そこからまた伸びていくのも、高校時代の面白さだった。
昨日守れなかったことが、守れるようになる。
昨日決められなかったシュートが、決められるようになる。
初めて触れた競技だったこともあるが、そんな成長を日々感じることができたのだった。
 
「日本代表になりたいとか、こんな選手になりたいとか、そんなことは一切思ってませんでした。同級生には負けたくない、みたいな日々の勝ち負けでずっとやっていたんですよ。」
 
 
もちろん成長していく楽しさだけではない。当然ながら過酷なトレーニングもあった。だが、結果としてそんな意識で積み重ねた日々は、高校三年時の全国大会ベスト8という成績へとつながっていった。
 

 “ワクワクが導いたハンドボールとの出会いは、高校から大学時代へと続いてゆく。


 

 
 
高校時代に全国区の成績を収めた永島のもとには、いくつかの大学からオファーが届いていた。次の進路もまたワクワクで選んだのだろうか。
 

「決断するときに、例えば二択になったとしたら、僕は”ワクワク”に加えてもうひとつ、“しんどい方”を選ぶって決めているんです。それがコンフォートゾーンなのか、本気でやらなきゃいけないゾーンなのか。だからこの時は、当時日本で一番厳しかった大阪体育大学への進学を決めたんです。まあでもめちゃくちゃしんどかったから、後悔といえば後悔かもしれません()
 

大阪体育大学、関西屈指のスポーツ名門大学である。オリンピック女子ソフトボールの金メダリスト上野由岐子の母校としても有名だが、それだけでなくJリーガーを始めとする数多くのトップアスリートを輩出してきた。ちなみに永島の同期入学では、元読売巨人軍でメジャーリーガーとしても活躍した上原浩治がいた。
 
そんな永島の言葉はあながち冗談でもなく、上下関係が厳しかった大阪体育大学での日々は相当なものであった。練習が終わったあとの方がしんどかったくらいだという。だが、在学中では2年生と4年生の時に全日本学生選手権で優勝を成し遂げた。2年時はあまり活躍ができなかったが、最高学年として迎えた4年時の日本一は、特別なものだったと述懐する。
 

「なろうと思ってたんじゃなく、なるもんだと思っていました。」
 

負けることが許されない、大阪体育大学の厳しい環境がこの言葉を生んだのだろう。だから試合が終わって日本一が決まった時も、そこにあったのは嬉しさではなく安堵感だったという。この前の年は2回戦で敗退しており、悔しさを持っていたこともあった。
 

「普通のことなんです。そういう場所(大阪体育大学)にいましたから。」
 

こうして名実ともに学生ハンドボール界を代表する選手となった永島は、23歳以下の日本代表に選出された。のちのハンドボール男子日本代表キャプテンが、初めて日の丸を背負った時であった。
 
 
高校時代ではじめてハンドボールに出会い、ワクワクの導く航海は常に「しんどい方」へ舵を切ってきた。案の定その道は何度も辞めようと思ったほど過酷なものだったが、大学での日本一・アンダー世代の日本代表選出という結果を得た。
 
「自分が信じる道の先にこそ、最高の収穫があるんですよね。僕はいつもそうやって自分の道を決めてきました。もしかしたらそれが後悔しない秘訣なのかもしれませんね。」
 
 
そんな永島の航海は続く。次の舞台は社会人だった。
 
 
 
Episode3 ハンドボールをする意味 へ続く)

 

 著者:山手 渉

カメラマン:高須 力